ドル円の軌跡【保存版】Part1


1ドル=70円台が定着・似合ってきた円相場! ・・・ 前日はNY市場というメジャーな市場で、しかもロンドン勢も市場参加してる時間帯に、『75.95』 ワンタッチする最高値更新で、トレーダーも “達成感” を味わったでしょうネ(^o^)/

そんな円高水準に至るまでの “ドル円の軌跡” を、日経の記事から一部抜粋して、記録に留めることにしました。


“1ドル=360円” の固定相場制以降、「対ドルで円の通貨価値は5倍に膨らんだ要因に、ベトナム戦争(1960年12月~1975年4月)で財政赤字が拡大、輸入超過で貿易赤字も膨張し、米国の “双子の赤字”(経常赤字と財政赤字) を受けたドル安容認、日本の長期にわたる低金利政策に ―― 最近ではリスクマネーの逃げ場となる “逃避通貨” としても円は買われてきた」

そんな円相場だけど、「78年のカーター政権下(1977年1月~1981年1月)の “ドル防衛” 策や、80年代前半のレーガン政権下(1981年1月~1989年1月)の “強いアメリカ、強いドル” 政策 で、一時はドルが盛り返す局面も、貿易不均衡・ドル高是正でG5が協調する 『プラザ合意』(85年9月22日) が発表され、翌日1ドル=235円から20円下落、まもなく1ドル=200円の壁を突破。

87年1月には150円、同年2月22日の 『ルーブル合意』 ではドルの行き過ぎた下落を防ぐことで主要国が合意も、同年12月には120円台へ。

90年代前半は、日本のバブル崩壊で円はやや軟調も、93年4月の日米首脳会談でクリントン政権が円高容認姿勢を示すと、110円の壁を突破。 米国の株価下落を背景にドル安が進み、94年6月に99円台に突入。

90年代後半からは、日本の低金利政策を受け、“円キャリー取引” が拡大。 相場のベクトルは円安・ドル高だったところに、2007年夏、『サブプライムローン問題』 が表面化。 08年9月にはリーマン・ブラザーズの経営破綻などをきっかけに金融危機が発生、FRBは量的緩和に踏み切り、相場がドル安に進む環境をつくりだした」(日経/一部抜粋)


.。・+゜゜+・。 ドル円の奇跡 。・+゜゜+・。.

1944年12月  『ブレトンウッズ協定』発効。1オンス=35ドル、固定相場制を導入
 49年04月  円相場のスタートは、1ドル=360円の固定相場制
 71年08月  「ニクソンショック」(金とドルの交換停止)
   12月  『スミソニアン合意』(1ドル=308円に)
 73年02月  円が変動相場制に移行
 78年11月  カーター政権が「ドル防衛」策を発表
 85年09月  『プラザ合意』(22日/G5がドル高是正で合意)
 87年02月  1ドル=150円を上回り、『ルーブル合意』(ドル防衛で合意)
   10月  ブラックマンデー(株価暴落)、12月には1ドル=120円台
 94年06月  1ドル=100円を突破
 95年01月  阪神大震災
 95年04月  円は1ドル=79円75銭と当時の変動相場制移行後の最高値に
 97年07月  「アジア通貨危機」発生。タイバーツが暴落し、他の地域に波及
 98年09月  ロシア危機に伴い経営難に陥った米ヘッジファンドのLTCMを救済
       米財政が98会計年度(97年10月-98年9月)に黒字転換
 99年01月  欧州単一通貨『ユーロ』誕生
2001年09月  米同時テロ発生。 その後、米政府の防衛支出拡大へ
 07年08月  BNPパリバが傘下のファンドを凍結、市場に「パリバ・ショック」走る
 08年09月  リーマン・ブラザーズが経営破綻、世界的な金融危機に
 09年10月  ギリシャの政権交代で財政危機が発覚
   11月  「ドバイ・ショック」
2010年01月  オバマ大統領が一般教書演説で今後5年で輸出を倍増する計画打ち出す
   06月  G20サミット@カナダで先進国が13年までの財政赤字半減を共同宣言に
   07月  バーナンキFRB議長が議会証言で「米景気の不確かさ」を指摘
   09月  政府・日銀が6年半ぶりに円売り介入実施
   10月  G20財務相・中央銀行総裁会議@韓国で「通貨安競争」回避の共同声明採択
   11月  FRBが11年6月まで6000億ドルの米長期国債を購入すると決定
2011年03月  東日本大震災
       円は1ドル=76円台と変動相場制移行後の最高値を更新
   08月  米国で連邦債務の上限引き上げ法が成立(2日)
       S&Pが米国債を最上位から「AA+」に1段階引き下げ(5日)
       FRBが超低金利政策を「2013年半ばまで継続」表明(9日)
(出所・日経QUICK)

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